死刑になりたいとか言ってるのを死刑にしても犯罪抑止にはならないような。
それどころか、猟奇殺人犯の記録を読むのが大好きな私(アンテナ参照)が考えるにこういう短絡的な殺人者は「死にたいから人殺して死刑になろう」とか普通に考えているので犯罪助長にすらなりそうな……(別に私は死刑廃止論者ではないです)。
要するに生死じゃなくて、「望むこと」と反対のことをすることで罪を悔いさせなければいけないわけだが……。
無期懲役終身刑ではないということが知れ渡っている現在の社会では、懲役1000年とかにすればいいのかとも思うが、結局それは留置所で自暴自棄の生活を送らせる(+自殺の危険性)だけになりそうで悔悛の手助けにはならない。もっとも、悔悛させることが問題ではなくあくまで犯罪抑止が目的だが。そうなると懲役100年とか微妙な年数を出すのも手だが、それだとやはり生き延びたい犯罪者を罰せないかも知れない。
となると「何をされるかわからない刑」(人体実験とか)みたいな刑罰を作ればいいのかと思うが、悪用が怖くて無理だし……。死刑を視野にいれた終身刑みたいなのがあるといいのか……。
本来は「死刑=死ねる」のような短絡的思考を否定し、死刑および死の苦しみや怖さをしっかりと教えなくてはならないわけだ。
最終的には教育や政治の責任が問われてしまうわけだが、現在の様々な場所で短絡的思考を全肯定し、理屈屋や多様な視点を拒むことが励行され気味の社会ではそれも期待できず。生きていることが素晴らしいと思える社会作りというのも今さら難しそうだし、説得力が乏しくどうしても偽善的になる。そもそも既に教育の手を完全に離れて野にいる(誤解を招く言い方だが)潜在的犯罪者達はもはやどうしようもない。
答えが出ないので人は裁けないですね。というわけで私は裁判員制度超反対者です。こんな何の説明もない制度を平気でゴリ押しする社会がこういう殺人者を生む要因の一つでもある。