舞-乙HiME

会長の乳児プレイとチエさんが相変わらずイイ男(ウホッ)なのがサイコウでした。
だけど「殺されたら殺してまた殺されて、それでいいの?」みたいなSEED理論には不安を覚えるなあ。

SEEDで一番稚拙だなあと思ったのはその理論。
結局「人を傷つけるのは良くないから喧嘩はやめようよ!」なんてメッセージはあまりに安直でわざわざ訴えるまでもないし、そもそもこの競争社会でそれを訴えることは創作者としてはもう罪に近いと思うのだが。
もしSEED観て育った子供がいて、それを信じてたとしても、彼が成長しいわゆる社会に出ると、そこに待っているのは競争の社会。他人を傷つけるつけないに関わらず不快感は避け得ない。戦わなきゃ守れないものもあるかもしれないけど、戦っても守れないものもたくさんあるし、戦いなんかしなくても守れるものも腐るほどあるし、そもそも戦いの場すら与えられないこともあるし、戦いを与えられないことにフラストレーションを感じ続けることもあるだろう。
戦いの負の側面をラウに押し付けて、それを奇麗事の刃で片付けるという結論で〆てしまったSEED理論は明らかに1stのリメイクたり得ない。戦いの負の側面の一方で、競争から生まれる成長・技術的進歩、成長から生まれる人格的成熟、様々な正の側面を見せなくてはいけないのに。それがあるから、今の社会は成り立ってるんでしょ? 競争しなくなった、争わなくなった人々の堕落した惨めな社会なんて誰も見たくないんでしょ。平和に暮らすことと競争を否定して自堕落な生活を送ることは違う。いい加減それを訴えるべきだろ。なんか負け犬根性が透けて見える。自分が負けたからってその競争そのものを否定するのはおかしい。

だからあんなくだらない理論を舞-乙HiMEの頭おかしい世界に持ち込まないで欲しいなあ。ガルデローベでは可愛い女の子たちがキャッキャウフフしてレズとか駆け落ちとかしてればいいと思うんですよ。つーか俺の望みはそれだけだ。頭おかしい女の子まみれの世界で暮らしたいんだ!